ライズを待ち続けて

東北の渓流を舞台とした釣り物語

クマより怖いもの

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荒川と言っても山形県から新潟県を経て日本海側に流れる川のことだけれど、その上流域はフライフィッシングにとても適している川である。大小の石がゴロゴロと転がる河原が広がり、その中を透明度の高い美しい水が流れている。河畔林にフライをひっかける心配もなく、ロッドを振ることができるまったく気持ちの良い川だ。源流域まで行くには車止めからしばらく登山道を歩くことになるが、うっそうとしたブナの森にずっと続いていて、所々に巨木もみかける。東北らしいブナの天然林を身近に感じることもできるところである。もっとも、自然が残っているということは当然にして野生の動物も棲んでいるということになるが、いつも連れだっていた相棒は、クマと互角に戦うことが期待できる立派な体躯の持ち主で、まったく頼もしい限りであった。相棒は過去にこの川でいい釣りをしたことがあり、二人でよくでかけた。

 

ある時、と言っても、もう20年以上も前になるのだが、源流釣りのガイドブックで、荒川から西へ新潟県との県境境になっている稜線を越えれば、三面川支流の源流部に出られることを知った。三面川は荒川とは別な水系で、その支流はゴルジュ帯が長く続いていて、下流方向からは容易には近づくことができない。稜線を越えるそのルートはそのゴルジュの上流に直接アプローチすることができるメリットがあった。難点は、そのルートには道がないことで、車が通れる道どころか、登山道もない。あるのは踏み跡だけである。国土地理院の2万5千分の1の地図にも道の記載はなく、ガイドブックと突き合わせてみると、東から尾根の張り出しを登り、稜線に出てから西側に下るルートであることがわかった。所要時間100分ほどであるという。以前に、マタギが使う道を伝って源流釣りに行った経験があり、踏み跡を辿ることには多少の心得はあったので、その程度の距離、時間なら難しくはないなと簡単に考えた。それが、そもそもの誤りの元だったのだが、それは後から分かったことで、たくさんの魚がいるに違いない、と単純な動機によって、相棒と二人でチャレンジすることになった。

 

荒川沿いの針生平で林道から離れ、小さな沢を遡上してまもなく尾根にとりついたのが、午前9時だった。地元の人たちによって、山菜やキノコ採りに使われるらしく、比較的踏み跡はしっかりしていた。迷ったときのことを考えて、要所要所に目印をつけて登って行こうとも思っていたが、それも必要なく、順調に稜線まで上ることができた。稜線にも道は整備されておらず、藪漕ぎを強いられた。密生する低木の中に分け入り、強引に前進する。冬の厳しい風雪に耐えた枝木はたくましく、履いていたズボンを簡単に引き裂いた。空は青く、遠くまで見晴らせる。峰を渡る風は心地良かった。ただ、見込みよりは時間がかかり、4つ目のコブまで来た時には、午前10時半を過ぎていた。ここから、反対側に支流を目指して尾根筋を下り、約1時間かかってようやく支流に達することができた。

 

沢に降りる直前から谷底に、自然界にないようなプレイン色の人工物らしきものがあるのが、目にチラチラと入ってきていたので、うすうすは感じていたところではあったが、支流から少し上がったテラスにはテントが一つポツンと張られていた。それを目の当たりにしても、離人感というのか、現実のものとは感じられなかった。相棒も同じく先行者がいるとは夢にも思っていなかったようで、風景から浮き上がっているそのテントを、無言のまましばらく見つめていた。テントの中に人の気配は感じられなかった。たぶん、釣りに出ているのだろう。

 

萎えてしまった風船に息を吹き込むようにして、釣り支度をし、川の上下に分かれてイワナを探った。私は、対岸の流木の下手にイワナが潜んでいるのが見えて、それを目指して黄色いボディのフライを投入した。うまくイワナを誘い出し、飲み込むのを確認して合わせたが、ノッドが甘く、フライをイワナの口辺に残して、すっぽ抜けてしまった。

 

やがて相棒の方も手ぶらで戻ってきて、結局二人合わせてもなんの獲物も手にしていないままに、引き上げなければならない時刻になった。支流を後にしたのが、午後3時5分。下ってきた尾根をウエーディングシューズで登り、尾根まで辿りついたのが、午後4時20分。7月下旬の時期であり、まだ日は高い。稜線を北に戻り、針生平まで下る地点まで戻ることができた。

 

下り始めたとこで、午前中に登って来た時とは、なんとなく山の雰囲気が違うことに気がづいた。人が通った後には、土や落ち葉を踏み込んだ跡だけではなく、草や両側から張り出す木々が跳ね返されて、人型に抜けた空間ができているもので、登りではそれがよく見えた。しかし、反対に下る段になってはっきりと見えなくなってしまったのである。だんだんと、踏み跡を見定めるのが難しくなり、進んではいったん立ち止まって、ルートを確認するという作業に時間を取られるようになってきた。その度に相棒は、一緒に立ち止まり、すぐうしろに無言で控えている。相棒には悟られないように、平静を装っていたが、踏み跡を見失いそうになると、これまでに経験したことがないような不安に襲われた。それは、脊椎を中心として背中全面が凍り付くような感覚だった。

 

やがて道は森の中に入り、高い林に囲まれると、あたりは一段と暗くなり、踏み跡が益々見え辛くなってきた。これだと思って選んだ道が藪に突き当たり、登り直して、また下るということを繰り返すようになった。遅まきながら、ヘッドランプを取り出して、点灯させたが、光が届く身近な範囲が照らし出されるだけで、見通しは効かず役に立たない。そのうち、すっかり道を見失って同じ場所をうろうろするようになった。相棒も私から離れて、独自に踏み跡を探し始めた。

 

その時だった。相棒の「あっ」という声と同時にドサッという音がした。物音がした方に駆け寄ると、落ち葉のたまった窪みに相棒がうずくまっていた。ブナの大木の根本が崖になっていて、それに気づかずに下の窪みまで転落してしまったのだった。高さは5、6メートルだったろうか。幸いにして、尻から滑り落ちたのと、落ち葉がクッションになって、大きな怪我には至らなかったが、お尻をしこたま打ち付けたようだった。

 

普段は落ち着いている相棒ではあるが、この様子からして、これ以上動き回るとさらに被害が大きくなる可能性があった。今晩はここで留まり、明日の朝明るくなってから行動した方がいいとも思った。食料はチョコレートとカロリーメイトがある。水はわずかではあるが、一晩くらいはなんとかなるだろう。しかし、相棒と言えば、尻をさすりながらも、歩くことはできるようであり、なんとか今日のうちに家に帰りたいようである。

 

そんなことを相談しているうちに、暗闇に目が慣れてきて、周囲の様子が前より見えていることに気づいた。ブナの幹のだんだら模様が闇の中にほのかに浮かび上がっている。目を地面に向けると枯れ葉の積み重なりに凹みがあり、踏み跡らしきものがあるのも分かった。その道はわれらが目指す東に続いていた。しかし、この道も間違っている可能性もあり、この地点に戻ることを考えると、相棒にはこの場所に留まった方がいいと確信した。そして、その旨を相棒に告げると、相棒は私の目を見て「必ず戻ってきてくれるよね。」と言った。

 

踏み跡は細い尾根の上を通っていた。見失わないように慎重に進む。まもなく相棒の「おーい」、「おーい」と叫ぶ声が聞こえた。それを背にしながら、踏み跡を辿ることに全神経を集中させた。踏み跡は下るに連れてはっきりしてきた。勾配は急ではあるが、足がそれについていくことができ、進む勢いも増してきた。どんどん坂道を駆け下るようにして行って、とうとう最後には、今朝しがた尾根にとりついた地点まで戻ることができたのであった。それは相棒と別れてから、時間にしてたった10分程度の行程であった。

 

それから休む間もなく、今来た道を取って返した。暗闇の森に響き渡る声を頼りに、急な坂道を登り続けた。こちらからも大声で呼応し、お互いに二人の位置が接近するのを確認しながら、元来た場所まで戻ることができた。私の帽子につけたヘッドランプは、今度は威力を発揮して、森の中に一人佇んでいた相棒を照らし出した。メロスの帰還を一度だけ疑ってしまったという盟友セリヌンティウスは、かくばかりであったかと思わせるような表情を浮かべて相棒は私を待っていた。

 

二人で林道まで出ると、森の中の暗闇が嘘のように、まだ世界は明るかった。全身の緊張感がほぐれて、自然に表情がほころぶ。相棒は思ったより尻の広い範囲を擦りむいたらしく、ヒリヒリするという。それでもその程度の怪我で済んでよかったということになり、二人で家に帰れることを喜んだ。

 

森の中で待っている間にクマは寄ってこなかったかと、からかい半分に尋ねると、相棒は真顔になってこういった。

もし、今晩連絡なく自宅に戻らないと、妻は心配でたまらず警察に連絡するだろう。そうなると、捜索隊が組織され、その様子をテレビや新聞が県内一円に報じるのは間違いない。それによって遭難者として扱われたら、親戚や職場の人に顔向けできなくなってしまう。地元民の俺としてはそれがクマより怖かったんだよ、と。

そう言って、公衆電話を探しに車を急がせたのであった。