ライズを待ち続けて

東北の渓流を舞台とした釣り物語

川で失くしてきたもの その1 プロショップ  

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シンジは長い間務めた職場を退職したが、まだ気ままに釣りをして暮らせる年齢ではなかった。半年ほど就職活動を続けて、春から雇用されることになったものの、運悪くコロナ禍の影響があって実際に働き始めるのは、5月の連休明けとする通知が届いた。まだ春が浅い時期で、渓流釣りには季節が少し早かった。暇を持て余して、街中の電器屋や家具店などぶらぶらしていたが、やがて行きつけの釣具店に足を運び時間を過ごすようになっていった。

 

そこは、フライフィッシングのプロショップで、そのためのありとあらゆる釣り道具が売られていた。釣り糸や針、釣り竿(ロッド)やリールといった基本的な道具を始め、毛ばりを作るための動物の羽や毛、身につける衣類や靴、カバン、本などが、小さい店内に所せましと並べられている。ヴィンテージもののロッドや光沢を放つリールがショーケースに収まっているかと思うと、中には手を触れられぬままに埃を被っているものもあり、この店の歴史の長さを物語っていた。

 

店には、これまた年季の入った店主がいつもひとりで店番をしている。店主もまたフライフィッシングの愛好家であり、若い頃に始めた趣味が高じて店を開いたと聞いていた。 こういうプロショップは、以前はこの町にもいくつかあったが、アウトドアを一括して扱う大型店舗の進出によって、少しずつ姿を消し、残ったのはこの店舗だけになっている。 未だに泰然としていられる状況ではないようであり、シンジが店に来ている間にも他の客と重なることは少なかった。店の歴史と共に、客の年齢層も上がり、常連客は体力、気力、視力の衰えとともに、来店する頻度が少なくなり、やがてはフライフィッシングそのものをやめてしまっていくのだろう。

「フライフィッシングをする若い人が少ないんだよ。だいたい車も持っていないんだから困ったもんだよ。」と、店主の嘆きは口癖になっていた。

 

この日、シンジはフライフィッシング用のロッドを修理に出してもらおうと、アルミのケースごと店に持ち込んだ。そのロッドはフライフィッシングを始めたころに買い求めたものである。趣味に使う道具としては、高額だったこともあって、大切に使ってきた。番手は4番の8フィート弱の長さで、どちらかというとスローなアクションであった。この竿で多くの魚を釣り上げ、また多くの魚を釣り逃してもきた。古いものなので、果たして業者が修理を受け付けてくれるかが心配であった。

 

シンジは、ロッドの緩んでしまったつなぎ目とリングが外れてしまったリールシートを店主に見せた。グリップの部分については、コルクが経年劣化によって痛んでしまっていた。昨年のシーズン終了間の釣りで、リールがロッドから外れて川に落ちてしまい、慌てて水の中から拾い上げたことがあったが、原因はコルクの腐食であった。

 

店主は、竿を手に取って、見たり触っていたりしたが、その場で修理に取り掛かりはじめた。この手の修理はお手の物のようで、作業机から接着剤などを持ち出して、あっという間に直してしまった。シンジは、その手際の良さに感心しながらも、その店主にもう一つ難題を持ちかけたくなった。