ライズを待ち続けて

東北の渓流を舞台とした釣り物語

川で失くしてきたもの   9 お別れ


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シンジは次の年の春、鉄塔高校に入学した。校内では、暴力もけんかもなく、盗みもなく、平和な生活を送ることができた。一方で、シゲハルの消息はまったく分からなかった。もちろん、鉄塔高校を受験したメンバーにはおらず、高校を受験したのかさえ定かではなかった。シンジが知ろうとはしなかったという方が正確だ。シゲハルは、シンジの視野から消えていった。

シンジは高校卒業後、地元を離れた。その後帰省することはあっても、シゲハルを見かけることはなかった。いつしかシゲハルの住んでいた家はなくなり、整地されて、別な家が建っていた。

就職してからしばらくして、転勤で山間部の町に住んだタイミングで、シンジは本格的にフライフィッシングを始めた。その後その奥深さに魅了されて、これまで30年以上に亘って愛好してきた。かけがえのない趣味になった。

 

シンジはショップでもらったロッドケースのキャップを掌に転がしてみた。キャップは微かに機械油の臭いがした。シゲハルの部屋が懐かしく思い出された。

このキャップはシゲハルのものだろうか。シゲハルの苗字は珍しいもので、フルネームが合致している。渓流釣りの経験、フライフィッシングへとの出会いとそこで受けた強い印象、それからジェニーさんのスピーチを通して抱いたアメリカへの憧れといった中学時代の経験は、少なからず、シンジが大人になってからフライフィッシングを始め、それに入れ込んできた原体験になっている。同じ経験をしたシゲハルもフライフィッシングを始めていたのだろうか。もしかしたら、これまでもどこかの川ですれ違っていたこともあったかもしれない。

 

そんな風に思いを巡らしてみると、友達として情のない別れ方をしたことに心が痛んだ。もし、シゲハルがシンジとの友情が一時的なものであったと思って、二人での楽しい思い出を川に置き捨ててしまっているのであれば悲しかった。その一方で、自分自身もあの中学の時期を生き抜くことが、そう簡単なことではなかったことを、この年齢に至ってもあらためて感じたのであった。