ライズを待ち続けて

東北の渓流を舞台とした釣り物語

釣り爺様の昔語り カーティスクリーク 4/8

 

それはさらに古い話でな、さっきの話からさらに30年ばかりも遡る。昭和の時代のことだよ。当時、フライフィッシングを覚えたばかりのワシは,すぐに夢中になって、あっちこっちの川へ足繁くでかけるようになった。そして楽しさを誰彼となく語り聞かせていた。仲間が欲しかったんだろうな。しかし、意外に周囲の反応は鈍かった。まだそれほどフライフィッシングが世の中に知られてはいない時代だったしな、一緒にやってみようと言ってくれる相手は少なかったんだよ。それにフライフィッシングは初めてすぐに釣果が上がるわけでもないだろう。タックルや装備など揃えるにも結構の金がかかるしな、そんな中で、タカシだけが、興味を持ってくれたんだよ。釣れなくても我慢強かった。釣りそのものはやったことがなかったが、山歩きなんかはしていてな、自然の中で遊ぶことが好きだったんだね。

タカシはワシを師匠と呼んだ。これは半分はからかいだったな。ほぼ同い年なもんでな。実際は友達よ。タカシは、

「師匠、フライは川のどこを流したらいいのですか?」

なんて聞いてくるわけよ。ワシもな、自己流のフライフィッシングだったからなあ、そんなことを聞かれてもなあ、困るわけよ。

「縄文人だったころの記憶を呼び起こすんだ。」

なんて答えていたな。しかしな、これはまんざらはぐらかしでもなかったんだよ。今でも案外いい答えだったと思っている。というのはな、皆も川を見つめていると目には見えないけれど、魚の気配を感じることはないかい? あのあたりにいそうだなってね。ワシは思うのだが、人間が狩猟生活していた何万年かの間は毎日のように狩猟や釣りをしてきたのだろうよ。それで会得してきた能力は、まだワシらの頭の中に眠っているのではないかな。だからな、自分自身に聞けばいいのさ。脳の中の奥の方のほこりをかぶったようになっている記憶の箱にな、久しぶりに神経が届いてだよ、情報が伝達される。あそこを狙えばいいと意識化されるんだよ。そんでそれが分かったらな、今度はな、脳の新しいところと、フライを始めてから仕入れた知識でな、そこにいる魚を釣る方法を考えるんだ。浮かせるか、沈めるか、フライの大きさとか種類とか、流し方とかな。こういうプロセスがな、フライフィッシングの楽しさなんじゃないかい。どうだ、わかるだろう。

まあ、それはともかく、初心者の二人にとって優しかった魚は、ヤマメよりもイワナたちだった。それを求めてこの閉じた沢までやってきたんだよ。当時のここのイワナたちはな、上流に頭を向けた捕食態勢で行儀よく整列していることがあったからな、キャスティングが下手でラインが遠くに飛ばなくてもイワナが釣れたんだ。二人にとっては恰好の実践フィールドだったんだな。そんな中でタカシが大物を仕留めたのだったよ