ライズを待ち続けて

東北の渓流を舞台とした釣り物語

イワナがじゅうたん模様になっている川 


年に一度、気心の知れた仲間と釣りを目的とした野外キャンプをしてきた。日帰りでは遠くて行けないような地方の川のすぐそばに寝泊まりして、釣り三昧を体験しようという狙いである。帰宅時間を気にしないで夕方のライズを狙うとか、まだだれもいない早朝の川を独占するとか、想像しただけでも楽しくなるような企画であった。実際は、食事の準備、後片付けなど、なにかと手間暇とられることが多く、釣りに費やす時間が取れなかったり、朝は二日酔いで日が高くなるまでテントで寝ていたりと、目論見通りにはいかなかったが、それでも焚き火をしながら普段はできないような四方山話に発展することも多く、それだけでも十分に楽しく、時間はあっという間に過ぎていった。
 

 

ある年のこと、2泊3日の行程を予定していたが、天気予報では目的地としていた地方の天気が崩れることが確実視され、直前になって行き先を変えざるを得なくなった。初日の朝になってもまだ行先が決まらず、メンバー同士であーでもない、こーでもないと話し合いをしていた。テレビのモニターに映った天気図では、既に東北一円が雨雲に覆われる中で、下北半島のマサカリ地形だけが首を出すようにして、それから免れていた。その時私の脳裡に浮かんだのが、ある渓流釣りガイドブックの中の一文であった。 

「その日の〇〇川には、イワナが絨毯でも敷いたように川一面にいたのであった。」 

仲間にそのガイドブックを示して、下北まで出向くことを提案すると、一発で食いついてきた。かくして、450キロの行程を経て、一路下北半島を目指すことになったのであった。 

 

               

 

「最果て下北半島の渓流」という本は名前の通りに青森県下北半島の渓流釣りのガイドブックである。1991年5月に出版された100ページほどの冊子で、著者があとがきで書いているように、釣り日記風の書き方がされている。とは言っても、一度だけの取材で書かれたものとは違い40年の釣り経験をもとにしているので、内容に厚みがある。川の情報に加えて、地域の人々との触れ合いや、釣り仲間とのエピソードもあり、読んでいて飽きない。ガイドブックというよりは読み物と評したほうが実態に合っているかもしれない。 

 

言わずと知れたことだけれど、下北半島は本州の最北端にあり、津軽半島と向かい合って位置している。面積は1,800㎢ほどというから大阪府と同じくらいの広さがあるが、人口は9万人あまりである。川内川といった名の知れた河川もあるものの、多くは小中の川である。面積の割には内陸部は山が深いのだ。 

 

この本に取りあげられている河川は、大小70程度であり、おそらくは全河川がカバーされているのではないかと思うが、そのすべてにイワナやヤマメがいるということがわかる。人口が少ない上に、人口密集地からも遠く、様々な開発からも免れてきたようで、魚の住む環境が比較的保全されてきた賜物であろう。 

 

そしてその河川の多くは、河口の近くから渓流釣りが始まる。海からすぐのところにイワナがいる。アメマスではなく居つきのイワナである。潮風に吹かれながらのイワナ釣りなんて、北国の風情があってよいではないか。 

 

その上、当然にして魚が濃い。 「(魚を)引き抜くと、数匹のイワナが見失った餌を探してウロウロしている」とか、「静かに投餌すると、餌が底に就く前に、どこに潜んでいたのか十数匹のイワナの群れが餌の奪い合いを始めた」などと描写が本のあちこちに見つけられる。 なかでも秀逸なのは、先に触れた表現である。いったい絨毯とはどんな様子なのか。 

 

                

 

高速道路をひたすら北上し、岩手県を通過して、八戸あたりで一般道に降りた後が遠かった。降雨には遭わなかったが、目的とした川に到着したころには、とっぷりと日が暮れていた。暗闇の中で小さな港に整地された不自然にだだっ広いスペースを探し出してテントを張った。そして川の中を泳ぐイワナたちの姿を夢想して一夜を明かした。 

 

その翌朝である。確かにイワナはいた。津軽海峡に注ぎ込む河口からすぐの、押し寄せる波が及ぶのではないかと思う地点から、おびただしい数のイワナがいたのである。小さな川で水深も浅いのでその姿が橋の上からもよく見えた。皆上流に頭を向けて一定の間隔で並んでいる姿は、なるほど絨毯の模様のようであった。ただし、残念だったのはモザイク模様の魚のひとつひとつはとても小さく、イワナというよりも小イワシ並みのサイズだったことである。 

 

イワナたちはみんな屈託なく水面を仰いで泳いでいる。ドライフライにはなんの疑いを持たずに食いついてくれた。手元に寄せた小さなイワナを川の中に放し、また同じフライを川面に浮かべるときょうだいのようなサイズのイワナが釣れてくる。普段は深山幽谷に分け入り、気配を悟られないように身を潜め、季節や天候、気温に見合ったフライをプレゼンテーションし、やっと勝負になるかどうかという相手が、サイズの違いはあれどもこんなにたやすく釣れてしまうのが不思議だった。しばらく、小イワナたちを釣っては放し、釣っては放しを繰り返していたが、やがては作業を続ける意味が分からなくなってしまっていったのだった。 

 

なかなか釣果が上がらないと,自分の住んでいるところから遠くに行けば行くほど、パラダイスのようなフィールドが残っているという幻想が、心の中にいつのまにか定着してしまって、それを知らず知らずのうちに仲間と共有していた末の釣り遠征だった。釣りに行ったつもりだったが、見事に釣られる立場になっていたと気づいた時には遅かった。

 

ちなみにペルシャ絨毯にはマヒという小魚模様を意味する種類のものがあるという。そういう意味では、決して誇張された表現ではなかった。著者は文章の道での手練れでもあったのだ。 

 

マヒ模様のカーペット 魚がライズしている