ライズを待ち続けて

東北の渓流を舞台とした釣り物語

釣り爺様の昔語り カーティスクリーク 7/8

 

その後しばらくしてからな、ワシは何年かぶりにタカシとこの川に行ったことがあった。しばらく釣り上がって一息ついていると、ワシらの後から来た二人組と会ったんだよ。彼らはワシらの足跡を辿るように釣り上り、そこで追いついたという具合だな。皆も経験あると思うが、こんな風に川で出合った釣り師同士のやりとりというのは、ちとむずかしくてな。どうしても釣る場所が競合することになるからな、お互いに敵意が向きがちだろう。でもな、その二人はな、落ち着いたものでな、ワシらよりも年配で出で立ちからして老練な感じがした。お互いにな、軽く挨拶してから釣りの話になったよ。かれらはこの川に何年も通っていると言うのだ。そしてなあ、よくあることだけど、そして以前はここでこんなのが釣れたとか、あっちではこんなに釣れたとか、自慢話が始まるわけさ。そんで終いは、それに比べて最近は、魚の数が減った、釣れなくなったと嘆きが始まるわけだ。ワシらは相槌を打って聞いていた。 

そしてな、そのうちの一人が目の前のポイントを指して、そこをやってみてもいいかと聞くのさ。そこは、対岸のえぐれにできた小さな巻き返しでな、ワシが手を伸ばしてフライを留めようとしてもできなかったポイントさ。構わないと言うとその釣り師はだな、アユ釣り竿みたいな長い竿をするするすると伸ばし始めた。そんでその先の短いテグスにはな、なんとロイヤルコーチマンがぶら下がっているわけよ。あの白いウイングをつけたキレイなフライな。要するにドライフライの提灯釣りさ。それを水面に浮かべちょんちょんとやったわけさ。そしたらな、少しの時間も経たないうちにだよ、暗い水底からぬっとイワナが出てきてな、なんの疑いももっていないかのようにあっさりとフライを咥えるわけだ。やれやれだよ。まださびの取れていないような暗いイワナだった。そんで、その釣り師はな、竿をするすると手際よく縮めた上に、イワナを鷲づかみにしてな、ニヤッと笑ってな、そんでもっていた小型のナイフをイワナの後頭部に差し入れて息の根を止めてな、びくに放り込じまった。これには、タカシもワシも言葉が出なかったな。というのはだな、ちらっと見えた魚籠には大小さまざま大きさのイワナがびっしりと横たわっているのが見えたんだよ。ワシらの後を来てこんなに魚を釣りあげるということは、ワシらの釣りのへぼさを証明しているようなので、あらためてそれを思い知らされたと言うこともあるがな、でもな。それよりもな、イワナが食料だったりする時代ならまだしもな。小さいものまで遍く絞めるのはいただけないな。要するに呆れたわけさ。

これは持論だがな、この当時には既にフライとかルアーでも釣りの技術が発展していてな、釣り道具も高性能になったのでな、昔に比べて魚に対して釣り人の方が優位になっていたんだ。だからその都度殺してしまっていては,数が激減していずれはいなくなってしまうんでないかな。そう考えたらよ、釣り師は自分のクビを絞めているようなものだろうよ。なんでそのことがわかんねえのかな。不思議だった。今でもそんな輩はいるのかい? もういねえんだろう? その頃は、フキの葉っぱにたくさんのイワナを並べて写真を撮ったりな、大きなイワナの魚拓を取ったりな、それを自慢していた時代であったな。